2012年4月17日火曜日

老兵は黙って去りゆくのみ


じじぃの「アフリカのうば捨て山!弱者が強者を駆逐する時代」

後期高齢者医療制度 5分で概要マスター

後期高齢者医療制度」は、平成20年(2008年)4月からスタートした、新しい医療制度です。

この制度は、75歳以上の高齢者を「後期高齢者」と呼称し、一定の対象層として独立させて、新しい保険システムのもとに組み入れるものです(ちなみに65歳〜75歳未満の高齢者は「前期高齢者」に分類されています)。

日本自治体労働組合総連合 - 「静養ホームたまゆら」火災死傷事件問題に関して東京自治労連が見解発表 2009-04-01

群馬県渋川市の高齢者入所施設「静養ホームたまゆら」で3月19日夜に火災が発生し、10名が死亡するという痛ましい事件が発生しました。墨田区が入所者15名を同施設へ紹介していたなど、入所者の多くは都内自治体からの生活保護受給者でした。

心から哀悼の意を表するものです。

「静養ホームたまゆら」は、実態は有料老人ホームですが、老人保健法に基づく届出をしていない「無届け施設」であり、このような「無届け有料老人ホーム」や「住宅型有料老人ホーム」は、環境の劣悪さや身体拘束や虐待などの問題事例があることがこれまでも指摘されていたところです。

『弱者が強者を駆逐する時代』 曽野綾子/著 ワック 2009年発行 (一部抜粋しています)

弱者が強者を駆逐する

昨今、都会のインターネット・カフェで夜を明かし、変えるべき家もない若者たちのことが、この格差社会の置き去りにされた弱者の1つのタイプとして考えられている。町のホームレスの数も不況になれば増えるだろうし、冬になれば極寒の北海道などで、寒さのあまり夜通し寝られず町を歩き続けるホームレスもまた出現するにちがいない。

弱者救済は、道徳というより自然の力関係である。弱者に眼を注ぐことが政治の基本だ、ということも、まさにその通りである。私たちは身近なところでは、まず、自分を生み育てた親たちが年毎に弱って行く時、その人たちを「看(み)る」のが人間の普通のやり方だろう。かって私たちは親に育てられ、保護された。今お返しとして親たちに同じことをすればいいのである。隣近所に、身寄りのない年寄がいたら、手分けして、少しでもその寂しさを紛らすようなことをするのは楽しいものだ。自分がそうされたら楽しいと思うことを、人にもすればいいのだから、それほどむずかしいことではない。

しかしいつのまにか、弱者の性格、弱者の概念が少し変わった、と思う点もある。

先日、これも立派に後期高齢者の範疇に入る男性が、私に怒って言うのである。

「あの後期高齢者医療制度が決まったとき、後期高齢者だという人がテレビに出て言ってるんだよ。『我々に死ねと言う気か』って。僕は腹が立ったね。誰も見殺しにする気なんかない。しかし現世に完璧とか完全とかいうことはない、というだけの話でね。

昔から『備えあれば憂いなし』って行ったもんですよ。老人になるまでに、倹約して金貯めて備えあるようにするのが普通の人間のやることだよ。でも、そうできた人だって、ほんとうは憂いがあるんだ。もし、心がけが悪いか不運かで金貯められずに備えがなければ、憂いがあって当然じゃないか。

それにこれは僕自身が後期高齢者だから言えるんだけど、75歳をすぎたらもういつ死んでも不足は言えないんだよ。戦後とにかく我々は、空腹でもなく、乞食もせずに生きてきた。一応雨の漏らない家に住んで、清潔な風呂にも入れる暮らしができた。そうして75歳まで生かしてもらって、後はおまけの人生だよ。


痛みのプロセス

それに今、後期高齢者になっている人は、戦争中や戦後にあのひどい暮らしを体験してきたわけでしょう。焼夷弾が降って来る下で防空壕の中でこの次の爆弾では死ぬかもしれないと思いつつ生き延びて、イモ食ってシラミにたかられて、生きてきたんだ。『我々に死ねと言うのか』なんて僻(ひが)んでる連中は、そういう暮らしの中で、あの時強くならなかったのかね。75にもなれば、誰にとってももう間もなく死ぬのが当然の運命だ、と姿勢を正して甘受する姿勢はないのかね。情けないね。

それに、仮に政府が死ねとあからさまに言ったって、そんなことに従うこともないんだ。政府の方針なんて、やり方によっちゃ個人の生き方にほとんど関係ないんだよ。国家が死ねと言ったって、人は生きたきゃ何としてでも生き延びる、泥棒しても乞食しても逃亡しても、生き延びる。焼け跡で育った世代は、そのことも知ってるはずなんだ。それなのに『我々に死ねと言うのか』なんて甘えたことをよく言えるもんだ」

今の政府にも総理にも私なりにいろいろ言うことはあるけれど、私は健康保険について75歳異常を区別だか差別だかしたことに大賛成である。厚生労働省は社会保険については、自分の職務さえ果たせなかったという犯罪的行為をした。社保庁に関係した職員全員から年金を取り上げるべきだ、と私は思っている。なぜなら彼らは、本分を果たさなかったからだ。本分を果たさなかった人に、何で恩恵を受けさせる必要があるだろう。

しかし厚生労働省が後期高齢者医療制度について、75歳で線引きをしたのはさすがだと思う。現実を見るといいのだ。75歳から、人間ははっきりとした病気をしたり、行動が不自由になったりするものだ。その世代が、若者たちの払った医療費をうんと使うような迷惑をかけないために、後期高齢者医療制度を一般の保険制度と切り離して運営をするのは当然のことだろう。

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持って生まれた素質自体は批難すべきものではないけれど、やはりバカは恥なのである。バカは、自分の引け目を感じて勉強するか、控えめにしているのが、いつの時代でもよろしいのである。私の場合も、知識的にかなりよくわかっているわずかな専門分野と、時間的に深入りする気になれない多くの分野があるから、その不勉強な面には立ち入らないようにする。

一般に音痴は大きな声で歌わないのが礼儀だろう。音痴に大声で歌を歌わせて、それを笑いものにする趣味は、私にはあまりない。だからバカをさらしものにして笑おうとしても本質的にはおかしくない。しかしこういうことを言えば「あなたとは違うんです」と言われ、ここでも「弱者が強者を駆逐する」場面がすぐ完成する。とにかくこのグループが他の名前なら、どうぞご自由にお歌いください、と言いたいところだが、「羞恥心」という日本語の意味を破壊したことに関しては、責任は大きい。

この経済危機のあおりを受けて、大手の会社の採用内定者が、内定を突然取り消されて、それが社会問題になった。今でもまだ、ほんとうに用心深い人は、内定の段階を信じてはならない、と思っているはずだ。若者が社会の仕組みに対してとことん疑い深くなるような教育は誰もしてやらない。しかし疑い深いということは、常に一種の才能でもあるし、もしかすると美徳でさえある。疑いがあってこそ国際関係も経済も研究も医療行為も成果をあげる。スパイにも、ジャーナリストにも、経営者にも必要な徳だ。

内定から社員として勤め始めるまでのほん数ヵ月の間に、経済と社会の状態が激変することもあるのだ、と今回わかった。

12月12日付の産経新聞では、久田恵さんが「仕事はなくなるものだ?」という題で書いておられる。もうこの題を見ただけで、内容が推測されるほどのみごとな題である。久田さんご自身、勤め先がつぶれたり、会社から解雇されたり、寄稿していた雑誌が廃刊になったり、出版社がつぶれたりする。この体験は私にもある。

久田さんは次のように書く。


CDIの子うつ病インベントリ

「でも、おかげで身についたものがある。仕事がなくなったら、どうするか、と言うより、仕事はなくなるものだという確信(?)があるということ。その時、どうするか、常に頭の中で危機管理をする習性が身についた」

これが人間の知恵というものだ。70、80にもなって「年寄が安心して暮らせる生活を」などというたわけたことを言っていて、それで通るのが、日本の弱くて強いお年寄りなのである。人生はどこでも、いつでも「安心して暮らせる」ことなど決してないことを、改めて肝に銘じるべきだろう。

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アフリカのうば捨て山

3月にアフリカのコンゴ民主共和国から帰国すると、私にとってひさしぶりの感激は新聞が読めることだった。家では毎朝、私はひとしきり新聞を呼んで、神経だか感情だかを目覚めさせる。

コンゴへの旅は、私は自費で個人参加したのだが、本隊は私の昔の職場である日本財団が「アフリカの実態調査」として編成したものである。私はひそかに貧困調査と呼んでいる、アフリカの地方が、どれほど貧しいか、実態を知っている人はあまりいないのである。

      ・

日本に帰り着くととたんに、私の好きな新聞が、身寄りのない生活保護受給者のための渋川市の老人施設「静養ホームたまゆら」の火事で、10人が焼死した事件の続報を伝えていた。

もちろんいかなる理由にせよ、人が火事のとき逃げ出せず焼死していいということはない。しかし国民の1人当たりの年収が100ドル、つまり約1万円というコンゴの、水道さえ各戸になくて、公共水栓から、争って水を買って延々と家まで運ぶ人たちの姿を見慣れて帰って来れば、生活保護は13万円、そこから生活費と雑費を差し引かれて小遣いは3万円。その中からたまにではあろうがタクシーに乗って町へ出かけ、パチンコをする人もいたという「たまゆら」の住民の暮らしをどうしても比べてしまう。

日本でこうした惨事が起きると、マスコミは行政の貧しさ、経営の杜撰(ずさん)さ、そこに住んでいた人たちが気の毒だったと言い立て書き立てる。或はそこは「うば捨て山」だったと言う人もいる。しかしアフリカから帰って来たばかりの私は、素直にそのような義憤にはついて行けなかった。

テレビは焼失前の施設の中の狭い個室の中も映していた。宣伝用にいいところを撮ったのかもしれないが、個室のベッドには、ちゃんと寝ている人や蒲団が落ちないような柵もついている。すぐその傍には室内用の便器らしい椅子もおいてある。部屋の主はトイレまで歩かずに、すぐベッドの下で用が足せるようになっていたのだ。

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私が不用意に、彼女たちがここに来るまでの家庭の事情を聞こうとすると、シスターたちは言葉を濁したが、私はまだアフリカの広範囲な土地で続いているうば捨ての習慣の結果なのだということを、一瞬忘れていたのである。

アフリカにはまだ、死を生物学的な当然の結果だという風に考えられない人たちがいる。或る人が死ぬと、それは、その人を呪った誰かのせいなのである。村では呪術師が、その人を割り出して、その人を村から追放する。その割り出し方は、鶏の首を切ってその鶏が数秒間走り続けてぱたりと倒れたところにいた人をそうだとするのだとか、いろいろな説があるが、まだ確認していない。

ただ多くの場合、呪ったとされる人は、最早働けなくなった高齢者、つまり村の厳しい経済を圧迫するような存在の老女らしい。老女と言っても、多分50代、もしかすると40代もいるかもしれない。70、80で生きている人など、アフリカの途上国ではめったにいないのである。

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理想と現実を混同するのが、日本人の精神的姿勢になった。或は人に頼り、自分には力がないのに、他人と同じことを要求するのが人権だということになった。


彼女が死んだとき、アンナニコルスミスの発熱方法に高かった

もし「たまゆら」が、浴室を作らず、すべての入居者は、シャワーで済ますという制度にしていたら、世間はこのことだけで非難を浴びせるだろう。老後に入浴の楽しみを与えないのは、残酷だと言うのである。

しかし私は今から、自分の体が不自由になった時には、シャワーしか浴びないことに決めている。入浴の習慣をやめてシャワーだけにしさえすれば、老人介護はまだずっと楽になる。世界では、浴槽を持たず水浴びだけで暮らしている民族も非常にたくさんいる。こうした入浴法は、清潔な上、介護が楽で、経費もかからない。

自分がお金を持っていなければ、他人より貧しい暮らしをしなければならない、と世界中の人が思っている。もちろん今貧しい人も、真面目に働けば、或は国家に力がつけば、いつかはいい暮らしができるようになる制度を作ることは必要条件だ。しかし日本人は、自分が働かなくても、誰かが、3食つき、個室、風呂というレベルの暮らしを与えるべきだと信じ切っている。世界的な常識と、日本人の認識はかなり隔たっているのである。

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どうでもいい、じじぃの日記。

先日、図書館のなかで本巡りをしていたら、曽野綾子著『弱者が強者を駆逐する時代』という本があった。

曽野さんのエッセイは新聞などでよく見かける。

「弱者が強者を駆逐する時代」か。

中をパラパラ、めくって見ると「弱者が強者を駆逐する」の他に「アフリカのうば捨て山」とかもある。

ネットで「曽野綾子」をキーに検索してみた。

1931年(昭和6年)生まれだ。もう80歳の方だ。

私は1946年(昭和21年)生まれで、太平洋戦争が終わったのが昭和20年なので戦争を知らない世代だ。

昭和10〜昭和16年ぐらいの生まれの人は戦争を記憶しているのだろうか。

「後期高齢者」の75歳ぐらいの人の有名人となると大橋巨泉さん、黒柳徹子さん、養老孟司さんがいる。

彼らは、戦争経験者だ。私に比較的年代が近いタモリさんとか、ビートたけしさんは戦争を体験していない世代だ。

「我々に死ねと言うのか」

戦争を知らない世代なので、このことについては、どうなんだろうと思ってしまう。確かに爆弾が降ってくる時代を生き延びてきた人がいう言葉ではないような気がする。

「70、80にもなって『年寄が安心して暮らせる生活を』などというたわけたことを言っていて、それで通るのが、日本の弱くて強いお年寄りなのである。人生はどこでも、いつでも『安心して暮らせる』ことなど決してないことを、改めて肝に銘じるべきだろう」

昔、テレビかなんかでこんなことを聞いたのをずっと覚えている。

「若いときの苦労はいいよ、だけど年とってからの苦労はしたくない」

しかし、仕事も見つからず、老後も安心して暮らすことができない。これが現実なのだ。

「入浴の習慣をやめてシャワーだけにしさえすれば、老人介護はまだずっと楽になる」

年金だけで生活している。若い時は風呂には3日ごとに入っていた。今はガス代節約のため1週間に1回だ。

日本人の風呂好きは日本の文化だと思っていた。

「風呂を止めて、シャワーだけにしろ」か。

「世界では、浴槽を持たず水浴びだけで暮らしている民族も非常にたくさんいる」

きつい言葉だと思う。

じじぃの「人の死にざま_539_三浦・梅」

三浦梅園のこと

三浦梅園と聞いても多くの人はまだご存知ないと思います。梅園は江戸期、今の大分県の国東半島に生まれた哲学者です。梅園自身は自然哲学者として有名ですが、日本人には珍しく、抽象的概念を駆使してオリジナルな思想を展開したので、彼の主著である「玄語」は難解なことでも有名です。

松岡正剛の千夜千冊『玄語』三浦梅園

三浦梅園 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (一部抜粋しています)


三浦梅園は、日本の江戸時代の思想家、自然哲学者、本職は医者。豊後国(大分県国東市安岐町富清)の出身。

条理学と言われる独自の学問体系を築いた『玄語』が有名。主要著書としては、他に『贅語』『敢語』がある。これらは、梅園自身によって「梅園三語」と命名された。この三著作が梅園の思想の骨格をなすのである。このうち『贅語』と『敢語』は完成したが、『玄語』は37年の歳月を費やして、ついに完成できなかった。

「梅園三語」以外の著書には、詩学概論『詩轍』(してつ)、経世論『価原』、医学書『身生餘譚』『造物餘譚』などがある。

また、読書日記『浦子手記』には、道家の系譜の哲学概論『淮南子』、西洋天文学説『天経或問』をはじめ、『荘子』『列子』、宋学、朱子学、仏教書などの数多くの書名も記されており、三浦梅園の思考はこうした当時の分厚い教養の上に成立していると思われる。また、陶弘景(456-536、医者、道教家)、韓康伯(4世紀)の人となりを慕っていたという。

梅園は三度旅をした以外は、故郷の大分県国東半島を離れることはなく、医業の傍ら黙々と思考を続け、その坦々とした生涯を終えた。複数の藩主から招聘の声もあったが、断ったという。

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『考える人 日本の科学者100人100冊』 新潮社 2009年発行

三浦梅園(みうらばいえん、1723-1789) 『三浦梅園』 中公バックス 日本思想史上もっとも独創的かつ体系的な自然の形而上学 【執筆者】山田慶兒 (一部抜粋しています)

三浦梅園について考えるとき、わたしはいつも思想の運命に想いをはせる。きわめて理論的に精緻を考えぬき、一貫した論理で世界を描きつくすことがなにを意味するか、梅園の生涯をかけた思索が物語っているからだ。

梅園は主著『玄語』−−訳すれば『根源的存在論』−−において、「易」の陰陽論の二分法原理にもとづき、一種の人工言語である独特の概念と図を駆使して、自然的世界の全体的な構造を記述しようとした。23年間に23回の改稿を重ねてようやく書き上げられたこの書が、日本思想史上もっとも独創的かつ体系的な自然哲学、すなわち自然の形而上学であるのは、疑いを入れない。

梅園が描き出した世界は、すべてのものが陰陽の原理にしたがって、シンメトリーを形づくっている世界、もっと正確にいえば、天地万物が厳密な対称性の法則に貫かれ、球対称の構造をとって存在している世界であった。梅園はその球対称の構造を、対称性の原理によって構成されたおびただしい対概念と図をつかって、大は宇宙から小は動植物にいたるまで、存在のさまざまなレヴェルについて、具体的に記述しようとしたのである。

梅園の方法は論理的一貫性をもつ理論体系の強味と弱味を、もろに露呈している。それが成功し、すぐれた思想的成果を収めたのは、自空論のような抽象的な領域においてであり、逆に具体的な動植物の世界については、その記述と分類に失敗した。ひるがえって考えれば、それは当然だった。事物の豊かな多様性は、自然的世界における対称性の破れ、いいかえれば偶然性から生まれるのだから。

梅園は常識や既成の学問を根本から疑うところから、その学問を構築した。到達した理論よりそれを育んが懐疑の精神において、梅園はいっそう偉大だった。そして論理をとことんまで追い詰めた理論なるものは、事実の世界の豊かさのまえではついに虚妄にすぎないことを、われわれに教えている。

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